【小学校のみなさんへ】
今日は5月4日、ゴールデンウィークのただなかです。いつもの年なら、家族でさまざまなレジャーを楽しんでいる時期ですね。しかし今年に限っては、新型コロナウイルス感染症の流行を抑えるため、「STAY HOME(家にいましょう)」という合言葉のもとで、みなさんも私たちもじっと我慢の日々を過ごしています。
この休校が始まって、もう2ヶ月が過ぎました。振り返れば、今年は3月の卒業式には早々と桜が開花しましたが、3月29日にはなんと雪が降って、桜並木もひとときの雪化粧を見せました。その後4月の上旬にはみやばやしをすっかり若葉が覆って、ウグイスのまだへたくそな鳴き声を聞きました。そんな、あざやかな季節の変化を楽しむこともできないまま、もう春は過ぎようとしています。
桜のように注目を集める花もある一方で、ひっそりと開花し知らぬうちに散っていく花もあります。たとえば4月の中頃にたくさん咲いていた校内のカエデの花も、月の終わりにはすっかり散っていました。今朝は、11年前、校長として初めて迎えた月曜朝礼でのお話を紹介します。
片岡 哲郎
プレイバック月曜朝礼⑧
「花楓(はなかえで)」(2009年4月13日)
みなさん、おはようございます。これから、毎週月曜日は、こうしてみなさんに、短いお話をしたいと思います。よろしくお願いします。
金曜日の入学式から、まだ二日しか経っていないのに、すっかり街の景色が変わっていて、一年生のみんなは今朝学校に来て、驚いたのではないでしょうか。入学式の日、群馬県館林では29℃まで気温が上がり、東京でも土曜日は26℃と、まるで夏に入ったかのような週末でした。そのせいか桜の花もいっせいに散って、あっという間に若葉が枝先からあふれ出して来ましたね。
本当に今年は、小学校の入学式まで神様が桜の花を特別にとっておいてくれたかのような、そんな感じがしました。
それにしても、国立の桜は今年も見事でしたね。全国各地の、桜の名所の様子がテレビや新聞で紹介されていましたが、NHKのニュースには国立の風景も出ていました。この季節はどうしても桜ばかりがもてはやされますが、大学通りを歩くと、桜の他にもいろいろな花が咲いていますね。なかでも、菜の花や山吹、チューリップやパンジーなどの色には、はっと目がいくような鮮やかさがあります。私たちは、鮮やかで華やかな花の色を見て、きれいだなあと思います。
でも、その反対に、ちっとも目立たない花もあるんですよ。みんなは、カエデの花って見たことありますか。カエデと言えば、秋の紅葉という印象が強くて、春咲く花というイメージはないかも知れません。でも、満開の桜のかげで、カエデの新しい葉っぱが枝先に開き始めた頃、その葉っぱの下にたくさん花をつけるんです。一つ一つの花はとても小さくて、地味な紅色をしています。枝先の、高いところに咲くので、気をつけて見ないと、咲いていることさえ気がつかないかも知れません。
花というのは、人間を楽しませてくれるために咲いているわけではなく、本当は自分自身がやがて実や種をつけて、自分の子孫を増やす、そのために咲くのです。花は花自身のために咲くのです。きれいだとか地味だとか言うのは人間の側の感じ方であって、咲いている花自身にとってはあまり関係のないことです。どんな花でもその価値は一緒なんです。人間も、一人ひとりに性格や特徴の違いがあるけど、みんな同じだけの価値を持っているでしょう。それと同じです。
でも、私たちが気をつけなければいけないのは、人間の社会ではどうしても、はっきりした性格の人や、声の大きい、思ったことを何でも口にする人ばかりが注目を集めて、その反対に、おとなしい性格の人は集団の中で目立たないですね。本当は、目立たない性格の人には、優しくて常に周囲に気を配り、他人を思い遣るといったことが出来る人が多いのだけれど、周りがそのことに気が付かないというケースも、しばしばあります。カエデの花もね、いつもは全然目立たないけれど、先生は前に一度、雨上がりのカエデの花が水分を含んでキラキラ輝いているのを見たことがあります。小さな赤い耳かざりのようで、そのわずかな一瞬、きれいだなあと心から思いました。
俳句の世界では、カエデの花のことを「花楓」と呼びます。柴田白葉女という人の俳句に「花楓しずかに心燃ゆるなり」という句がありますが、目立たないカエデの花の、内に秘めた心を詠ったのでしょう。小学校の中庭の、タイヤブランコの隣りに立っているカエデの木は、先生が土曜日に見た時にはまだ少し花が残っていましたから、後で見て下さいね。カエデは、このあと種をつけますが、この形もちょっと変わっていて面白いんです。それはまたのお楽しみです。
それでは、一学期の最初の一週間、元気にやりましょう。
※わずかに咲き残るカエデの花と、プロペラ状の種子です。