2学期終業式 校長片岡先生のお話
みなさん、おはようございます。昨年に引き続き、今年も二学期の終業式がクリスマスイヴに重なりました。でも、今年に限ってはウキウキするような華やかな気分ではなく、新型コロナウイルスに世界中が塗りつぶされたこの一年が過ぎていくことへの、何とも言葉にならない複雑な思いとともにクリスマスを過ごすことになりそうです。
一年前の12月30日、中国・武漢市の武漢市中心医院という病院に眼科医として勤務していた李文亮さんという若い医師が、150人ほどが参加するSNSのグループチャットに、「華南海鮮市場で7名がSARS(重症急性呼吸器症候群)にかかり、我々の病院の救急科に隔離されている。」という情報を発信しました。これが、新型コロナウイルス感染症についての世界最初の発信でした。それ以降、新型コロナウイルス感染症はものすごい勢いで中国国内に、ヨーロッパに、アメリカに、そして日本にも広がっていきました。本来ならば新学期が始まるはずだった4月8日の時点で、世界中の感染者は139万人、死者は8000人という数字でした。それが今、世界中の感染者は実に7800万人に達し、170万人を超える人々の命が失われる事態にまで拡大しています。
そんな2020年でしたから、思い出のどの一コマを振り返ってみても、たいていコロナウイルスがらみの場面になってしまいますね。12月14日、京都清水寺で発表された「今年の漢字」は、おおかたの予想通り「密」という一文字が選ばれました。毎年12月になると、テレビでもネット上でも「今年の漢字」をあれこれと予想する話題が取り上げられます。コロナ禍の「禍」、ステイホームの「家」、あるいは鬼滅の「滅」などを挙げる人もそれなりにいましたが、今年に関してはみんな「密」以外なら何か、という予想の立て方だったように思います。10月から11月にかけて、子ども向けのインターネットサイト「キッズ@ニフティ」が「子どもなんでも相談」のコーナーで、小中学生を対象に、2020年を表す漢字一文字とその理由についての投稿を募集していましたが、そこでの第一位もやっぱり「密」でした。
そんななか、印象深かったのは、子どもたちが選んだ一文字13位にランクされた漢字でした。それは「君」という漢字でした。理由は、「君」という字を分解すると「コ・ロ・ナ」になるというもの。面白いですね。「君」と「コロナ」の関係について、最初に話題となったのは、大阪のイラストレーター・田中貞之さんが、4月1日に自身のインスタグラムに投稿した、「しばらくは 離れて暮らす コとロとナ つぎ逢ふ時は 君という字に」という短歌がきっかけでした。この短歌がネット上で話題となるとともに、5月2日の朝日新聞・8月24日東京新聞などでも取り上げられています。単なるパズルの面白さだけでなく、長期休校の真っ最中だった小中学生の心に、まさにヒットした言葉だったのでしょう。みなさんは、家族に対して「君」という呼び方を使いますか?家族は、たぶんもっと近い関係でしょう。一般的に、「君」という言葉で連想するのは、学校の友達とか職場の同僚、つまり仲間ですよね。新型コロナウイルスはまさに、それまでは当たり前のように自分の目の前にいた「君」という存在を、一瞬にしてパソコンの向こう側に連れ去ってしまいました。この一年間、私たちが取り組んできたのは、「密」を避けるためにただ単に相手との距離をとることではなく、身体と身体の距離をとりながら、いかにして仲間との「心の距離」を密のままに保つか、ということだったのではないでしょうか。
この世に、もし自分一人しか存在しなかったとしたら、登場人物はいつも「僕」「私」です。このような呼び方を一人称と言います。でも、二人しか存在しなかったとしたら、自分以外の相手のことを何と呼びますか。「君」「あなた」ですね。これが二人称です。そして、この世に三人以上の人間が存在するとしたら、三人目以降はみんな「彼」「彼女」という三人称で呼ばれます。先生が大好きな詩人・長田弘さんに、『すべてきみに宛てた手紙』という詩集があります。長田さんはこの詩集のあとがきに、こんなことを書いています。「書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人に向かって書くという行為です。文字を使って書くことは、目の前にいない人を、自分にとって無くてはならぬ存在に変えていくことです。」
私たちは今年、パソコンの向こう側の「君」へ向けて、どれだけの言葉を発し続けたでしょうか。おそらく言葉以上にお互いを非常に親しくさせるものはありません。何しろ言葉というものは、例えば「さくら」、例えば「リンゴ」と言うだけで、たとえそれが目の前になかったとしても、自分と相手の心の中に全く同じ「さくら」や「リンゴ」を描きあうことができるのです。でも、なかにはこんな言葉もあります。「世界」「自由」「友情」「正義」「愛」「憎しみ」「信頼」…。本物のさくらを見るように、「愛」というモノを見た人はいません。「自由」とか「友情」も、コンビニの棚に並んでいるわけではありません。こうした言葉は、誰も見たことがないのに、そう感じ、そう考え、そう名付けて、そう呼んできた、そういう言葉です。もしあなたが考える「友情」が、他の誰かの考える「友情」と違うものだったら、あなたの「正義」が誰かの「正義」と違うモノだったら…意味を共有しない言葉は、きっと強くお互いをはじきあうことでしょう。これからの私たちの社会にとって大切なことは、一人ひとりが「世界」とか「自由」とか「愛」といった「見えないものを見る力」を養い、それを表す言葉をしっかりと持つことなんだと先生は思います。
みなさんは今年一年、いい友達・いい仲間でいられましたか?長田弘さんが『すべてきみに宛てた手紙』に収められた最初の詩のなかにこう書いています。「物事のはじまりは、/いつでも瓦礫の中にあります。/やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことの、そのあとに/それでもそこに、なおのこるもののなかに」できなかったことの多かった2020年、悔しかったこと、残念だったことを挙げればきりがない2020年。でも今、みなさんの心に残っている友達や仲間との思い出こそ、2021年への物語を描く大切な材料に、きっとなるでしょう。
それでは、みなさんにメリークリスマス!どうぞ良いお年をお迎えください。