桐朋学園小学校

桐朋だより

58期卒業制作「思い出の道」

桐朋学園小学校では、毎年6年生が「卒業制作」を作っています。卒業制作は学校のさまざまな場所に飾られ、私たちの生活の中に彩りを与えてくれています。

 

昨年度の6年生(58期)も、2020年1月の3学期から、卒業制作に取り組んでいました。新型コロナウイルスの影響により学校が休校となり、作品の完成まであと少しのところで、卒業となってしまいました。ですが、この夏、58期の卒業生たちが学校に集まり、作品の続きに取り組み、無事に完成を迎えることができました。

 

作品のタイトルは「思い出の道」です。今年国立に戻ってきた「赤い屋根の駅舎」と、「大学通りの夜景」をテーマにした作品です。

6年生の卒業制作委員会を中心に、2019年の1学期から、話し合いを重ねて進めてきました。まず初めに、6年生全員に場所についてのアンケートを行い、作品を飾る場所が「5・6年生教室へ向かう階段の壁」に決まりました。

そして、2学期に入り、どのようなテーマや素材で作品を作っていくのか、委員会で話し合いを深めていきました。その後6年生全員に「どのように作品を作っていくのか」アンケートを行った結果、58期の卒業制作は「半立体で、ドット絵の様になっているもの」が良いのではないかと、意見がまとまっていきました。「半立体」で「ドット絵」になっているもの作るために、卒業制作委員で試作を重ね、「つまようじ」を使った作品にすることが決まりました。そして、作品のテーマについても、国立に戻ってきた「赤い屋根の国立駅」、そして「大学通りのある風景」にしてはどうかと、委員会での話し合いをもとに、まとまっていきました。

3学期に入り、各クラスチームごとに分かれて、卒業制作に取り組みました。完成図をもとに、たくさんの色のついたつまようじを作ることから始まりました。多いときには、一チームで2000本近いつまようじに色をつけることもありました。その色のついたつまようじを、1本1本丁寧にさしながら、絵を作っていきました。

 

この作品では、7万本~10万本近いつまようじが使われています。「思い出の道」の前を通るたびに、一つ一つ粘り強く、作品をていねいに作る58期の姿を思い出すことになるでしょう。

月曜朝礼 校長片岡先生の話

「大気の川」

 

例年よりも一週間早く二学期が始まっている今年の事情からすれば、当然と言えば当然なのですが、例年以上に猛烈な残暑の中での学校生活はなかなか大変ですね。明日からは9月に入りますが、これを境に少しでも暑さが和らいでくれたらいいですね。

昔から、よく晴れた夏の午後から夕方にかけて、急に入道雲(積乱雲)がわいて一時間ばかりの雨が降り、ちょっと気温が下がることがあります。一般的にはこれを「夕立」と言いますね。激しい降りに、目の前の視界がさえぎられるような状態になることがあるので、「白雨」と言ったりします。雨だけでなく、雷を伴うような場合には、雷を神様に見立てて「神立(かんだち)」とも呼ぶのだそうです。

夕立が起こる原因は、夏の強い日差しで地面付近の水蒸気を含んだ空気があたためられて、上空との温度差によって上昇気流が起こることで、積乱雲が形成されることにあります。積乱雲の水蒸気が上空で冷やされることで水滴となり、雨が降ります。でも、積乱雲はたいてい一時間ほどで消えてしまうので、雨はそう長くは続きません。地上に降った雨は蒸発する時に周囲の熱を吸収するので、打ち水のような効果が生まれて、夕立の後は涼しく感じられるというわけです。

でも、最近はあまり夕立という言葉を聞きません。先週の中ごろは東京でもしばしば「ゲリラ豪雨」が発生したというニュースがさかんに報じられていました。「ゲリラ豪雨」も夕立も、発生するメカニズムは一緒です。現代の都市は、温暖化の影響に加えて、自動車の排気ガスやエアコンの室外機の熱などの影響で、午後に限らず気温が高い状態が生まれがちです。これを「ヒートアイランド現象」と言います。ですから、本来なら積乱雲が発生しにくいはずの午前中であっても、突然、激しい雨が降ることがあるのです。いつ、どこで降るか予測がつかないということで、マスコミが「ゲリラ戦」に例えてその名をつけたようです。先生は、血なまぐさい戦場を連想させる「ゲリラ豪雨」という呼び方が好きではありません。気象庁も、正式には「局地的豪雨」というような表現を使っていますが、「夕立」のような風情を感じさせる言葉が新たに生まれるといいですね。

さて、そろそろ台風のシーズンです。年々、日本にやってくる台風の大型化が指摘されていますが、今年も風雨による大きな被害が心配されます。夕立とは違って、激しい雨が同じ地域にまる一日、あるいはそれ以上に降り続くことで、記録的な雨量が計測されることになります。そうしたケースでは、「線状降水帯」という言葉がよく使われます。これは、水蒸気を多く含んだ積乱雲があたかも大きな川のように連なって、ある地域の上空に次々に流れ込んでくることを指します。上空に、大きな川が流れているかのような状況ですから、「大気の川」という言い方もあります。

7月の初めに、熊本県の球磨川流域を中心に集中豪雨による災害が起きたことは、テレビ朝礼でもお話ししましたね。名古屋大学の坪木教授によると、この時、熊本の人吉盆地に入り込んできた「大気の川」は、長さが400kmに及び、3日の夜から4日にかけて、人吉盆地の上空の空気は1㎡あたり70㎏もの水蒸気を含んでいたというのです(7月11日東京新聞)。ちょっとピンとこない人のために違う数字を示しましょう。この時九州に流れ込んだ「大気の川」の水蒸気量は毎秒50万tと計算されます。ブラジルのアマゾン川を流れる水量は河口あたりでおよそ毎秒20万t、ということは、アマゾン川の2倍をゆうに超える大きな川が、人吉盆地の上空に流れていたという計算になります。

激しい雨が降る時、空を見上げてそこに川が流れている様子を思い浮かべるのは、なかなか難しいかも知れません。「大気の川」は、決して風情を感じさせる言葉ではありませんが、自然界が持っている力のものすごいスケールを感じさせます。

2学期始業日

8月24日、2学期の始業日を迎えました。
子どもたちの元気な声が、校舎内の雰囲気を明るくしてくれています。

セミの鳴き声とともに再開した学校生活、4ヶ月のあまりの2学期がみんなにとって充実した毎日になりますように。

残暑お見舞い申し上げます

2007年以来の、8月の梅雨明けとなった東京。

7月はどんよりとしたお天気が多かったですが、8月に入った途端、最高気温が30度を超える日々が続いています。夏休みに入って2週間が経ちましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。ニュースでも毎日のように「熱中症」という言葉を耳にします。くれぐれも気をつけてくださいね。

 

夏休みに入り、学校はがらんとした様子になっていますが、飼育当番の4年生や稲当番の5年生が、交代で学校に来てくれています。動物たちは、暑さに負けることなく元気いっぱいに過ごしています。田んぼに植えた稲やバケツ稲も、日々生長しているようです。

 

2学期の始業日に登校したときに、学校の中で変化している場所がいろいろあるかもしれません。ぜひ探してみてください。

 

残り1週間あまりとなった夏休み、元気に過ごしてくださいね。

1学期終業日

7月31日、1学期終業式を行いました。

この日を学校で、全校のみなさんと共に迎えられたことを本当に嬉しく思うと同時に、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

1学期、登校できた期間は決して長くはありませんでしたが、一日一日、クラスメイトとともに過ごせた時間は、濃密であったはずです。共に学べること、遊べること、休み時間の何気ない友達との会話、一つ一つのことのありがたさを誰もが実感した日々でした。

 

三週間の夏休み、誰もが経験したことがない日々となりますが、「心の領域を広げる」ひとときとなりますように。2学期、また学校で会いましょう。

工夫しながら一歩ずつ

先週、今週と2週にわたって、テレビ放送による児童会朝礼を行いました。

内容は、委員会のメンバーと活動内容の紹介です。

 

学級、保健、放送、美化、体育、図書、生きものの7つの委員会が、学校で過ごすみんなのために、できることを行っています。

 

児童会朝礼は画面越しでの呼びかけでしたが、どの委員会からも思いのこもったメッセージが聞かれました。

 

まもなく1学期の終業日を迎えます。6月から、みんなが学校に来られるようになって、一つ一つのことが前に進んできました。学校は人が集う場所であることを、再認識した今学期でもありました。高学年のみんなによる委員会活動も、学校生活をまた一歩ずつ前進させる原動力となるはずです。

一人ひとりが羊の毛と向き合って

本館1階の廊下に、独特のにおいが立ちこめます。

何の匂いだろうと思っていると、実験・実習室からにぎやかな声も聞こえてきました。

4年生が、羊の毛を洗っている真っ最中でした。

 

4年生の生活科では、毎年「羊の毛から」という学習を行っています。本来であれば宿泊行事で羊の毛刈りをし、それを持ち帰ったところから始まる活動ですが、残念ながら今年度は宿泊行事に行くことができませんでした。そこで、毎年お世話になっている牧場に連絡をし、2頭の羊の毛を送っていただきました。

 

刈った毛そのままですから、汚れもついていれば、においもします。まずは、その毛を洗うところからです。羊の毛を洗った水の色はというと・・・。子どもたちの反応がとても大きかったことがその答えです。

 

見違える色になった羊の毛を乾燥させ、その後は繊維をそろえるカーディングという作業を行います。そして、糸を紡いでいく作業へと移っていきます。

 

自分たちが洗った羊の毛がどのようになっていくのか。一つ一つの作業を丁寧に行いながら、学んでいます。

特別な時間

高学年のクラブ活動は、その年の6年生がクラブを立ち上げるところから始まります。

ですから、毎年決まったクラブ活動ができるとは限りません。

 

今年度は、以下の16クラブが成立しました。

 

・ボードゲーム部

・イラスト部

・からだ元気クラブ

・ブックトーククラブ

・文芸部

・読書部

・生物部

・アンサンブル部

・卓球部

・バレーボール部

・野球部

・ダンス部

・バスケットボール部

・バドミントン部

・サッカー部

・遊部(あそぶ)

 

成立したクラブについて、6年生は5年生に活動内容を紹介し、メンバーを募ります。

 

そして、先週の水曜日に、念願の1回目の活動を行いました。

空模様が怪しかったのですが、何とか天気ももち、屋外のクラブも計画していた内容で活動することができました。

高学年だけの特別な時間、2学期も充実したものになりますように。

月曜朝礼 校長片岡先生の話

「青天の霹靂(へきれき)」

 

この時期に学校の授業がある年というのは、桐朋学園小学校としてはながいこと経験したことがありませんので、ちょっと戸惑いを感じることがあります。たとえば明日は、もう土用の丑の日なのだそうです。土用と言うのは、昔の暦でいう季節の変わり目で、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ直前18日間を指します。その期間の最初の日を土用の入りと呼び、最後の日は節分と言います。

節分は本来、年に4回あるということになりますが、私たちにとっては2月3日、立春の前日のイメージが強いですね。同じように、土用という期間も年に4回ありますが、一般にはこの時期の夏土用を指すことが多いようです。沖合を通る台風の影響でこの時期に時折発生する大きな波のことを漁師たちは土用波と呼びました。そして土用の丑の日と言えば、江戸時代に、発明家として有名な平賀源内が、「土用の丑の日うなぎの日 食すれば夏負けすることなし」という看板を鰻屋の前に立てて大繁盛させたことから、うなぎを食べる風習が定着して今日まで続いています。

暦はもう夏本番なのに、毎日毎日、じめじめした雨が続いています。梅雨明けの青空が待ち遠しいですね。さて、みなさん、「青天の霹靂(へきれき)」という言葉、聞いたことがありますか?昔、中国の詩人・陸游(りくゆう)が、病気になって寝ていた時のことです。突然アイディアがひらめいて布団から起き、筆を走らせた陸游、その筆の勢いを詩の一節に「青天にへきれきを飛ばす」と書きつけました。これは、青く晴れ渡った空に、突然かみなりがとどろくさまを表現した言葉で、予期せぬ突然の出来事に出くわして驚いた時に使われます。

7月2日、午前2時32分、それは誰もが寝静まった真夜中のことでした。関東地方上空を西から東へと、巨大な火の球が轟音とともに横切っていきました。時間にしてわずか10秒あまりでしたが、夜空を観察していた写真家の方が撮影した動画などが紹介されて、話題を呼びましたね。それと同じ時刻、千葉県習志野市のあるマンションで大きな物音がしたそうです。翌朝、マンションの2階に住んでいる方が玄関を開けると、廊下に石がころがっていました。廊下の手すりには何かが衝突したような傷も…。火の球のニュースを見たその人は、もしや「いん石」のカケラではないかと思ってその石を拾い、千葉県中央博物館に送りました。その石は、さらに国立科学博物館で調査され、真夜中に火の球となって落下したいん石の一部であることが判明したそうです。国内で確認されたいん石としては、53例目だということです。

記録上確認できる国内最大のいん石のことをお話ししましょう。今から200年ほど前の1817年、冬の午後2時ころだったそうです。今の八王子・日野・多摩市にかけての一帯に、雷のような轟音とともにいん石が雨のように降り注いだという記録が、多くの文献に残されています。大きなものは、長さ90㎝、重さ60㎏あったとのこと。当時の人々はさぞ、腰を抜かしたことでしょうね。その地域に住んでいた人々は、「石を拾ったものは届けるように」との命令を受けて、いん石のカケラを役所に届けたそうです。でも、当時の江戸幕府の役人は、「空から石が落ちてくるはずがない。火山の噴火で飛んできたのだろう。」と結論づけてしまったようで、その時のいん石は行方不明となってしまいました。

本当に役人たちはいん石のことを知らなかったのでしょうか。八王子いん石のことを研究している森融さんという研究者によれば、いん石という現象自体は古代中国の頃から知られていたそうです。森さんは、「江戸が大騒ぎになったことで、人々の不安を早くしずめるために役人は火山の石だと言ったのではないか。」と推測しています。嘘も方便、というところでしょうか。

これからも変わらぬ風景でありますように

大学通りの両側に続く桜並木。

毎年春になると、気持ちを温かくしてくれるような、素敵な光景を見せてくれます。

 

日々その木々の下を通って登下校する桐朋生にとって、大学通りの桜を学校の一部のように身近に感じている人もいるかもしれません。

 

数多くの桜がある中で、桐朋学園小学校の子どもたちにとって特に身近な桜が何本かあります。そのうちの一本が大学通りの西側、一橋大学の敷地横にある「ヤマザクラ」です。生活科の学習の一環で、3年生は毎年「桜守」の活動に参加しています。その中の一つとして、先日、けがをしてしまったヤマザクラが元気になるよう、肥料まきを行いました。

 

お世話をする木ができると、これまで何となく見ていた木々の見方も変わってきます。「気になる木」を見つけることで、日々歩く大学通りの景色も、より変化のある場所となることでしょう。

 

3年生が見守るヤマザクラが、来年の春もきれいな花を咲かせてくれることを願いたいと思います。

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