月曜朝礼 校長片岡先生の話
「青天の霹靂(へきれき)」
この時期に学校の授業がある年というのは、桐朋学園小学校としてはながいこと経験したことがありませんので、ちょっと戸惑いを感じることがあります。たとえば明日は、もう土用の丑の日なのだそうです。土用と言うのは、昔の暦でいう季節の変わり目で、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ直前18日間を指します。その期間の最初の日を土用の入りと呼び、最後の日は節分と言います。
節分は本来、年に4回あるということになりますが、私たちにとっては2月3日、立春の前日のイメージが強いですね。同じように、土用という期間も年に4回ありますが、一般にはこの時期の夏土用を指すことが多いようです。沖合を通る台風の影響でこの時期に時折発生する大きな波のことを漁師たちは土用波と呼びました。そして土用の丑の日と言えば、江戸時代に、発明家として有名な平賀源内が、「土用の丑の日うなぎの日 食すれば夏負けすることなし」という看板を鰻屋の前に立てて大繁盛させたことから、うなぎを食べる風習が定着して今日まで続いています。
暦はもう夏本番なのに、毎日毎日、じめじめした雨が続いています。梅雨明けの青空が待ち遠しいですね。さて、みなさん、「青天の霹靂(へきれき)」という言葉、聞いたことがありますか?昔、中国の詩人・陸游(りくゆう)が、病気になって寝ていた時のことです。突然アイディアがひらめいて布団から起き、筆を走らせた陸游、その筆の勢いを詩の一節に「青天にへきれきを飛ばす」と書きつけました。これは、青く晴れ渡った空に、突然かみなりがとどろくさまを表現した言葉で、予期せぬ突然の出来事に出くわして驚いた時に使われます。
7月2日、午前2時32分、それは誰もが寝静まった真夜中のことでした。関東地方上空を西から東へと、巨大な火の球が轟音とともに横切っていきました。時間にしてわずか10秒あまりでしたが、夜空を観察していた写真家の方が撮影した動画などが紹介されて、話題を呼びましたね。それと同じ時刻、千葉県習志野市のあるマンションで大きな物音がしたそうです。翌朝、マンションの2階に住んでいる方が玄関を開けると、廊下に石がころがっていました。廊下の手すりには何かが衝突したような傷も…。火の球のニュースを見たその人は、もしや「いん石」のカケラではないかと思ってその石を拾い、千葉県中央博物館に送りました。その石は、さらに国立科学博物館で調査され、真夜中に火の球となって落下したいん石の一部であることが判明したそうです。国内で確認されたいん石としては、53例目だということです。
記録上確認できる国内最大のいん石のことをお話ししましょう。今から200年ほど前の1817年、冬の午後2時ころだったそうです。今の八王子・日野・多摩市にかけての一帯に、雷のような轟音とともにいん石が雨のように降り注いだという記録が、多くの文献に残されています。大きなものは、長さ90㎝、重さ60㎏あったとのこと。当時の人々はさぞ、腰を抜かしたことでしょうね。その地域に住んでいた人々は、「石を拾ったものは届けるように」との命令を受けて、いん石のカケラを役所に届けたそうです。でも、当時の江戸幕府の役人は、「空から石が落ちてくるはずがない。火山の噴火で飛んできたのだろう。」と結論づけてしまったようで、その時のいん石は行方不明となってしまいました。
本当に役人たちはいん石のことを知らなかったのでしょうか。八王子いん石のことを研究している森融さんという研究者によれば、いん石という現象自体は古代中国の頃から知られていたそうです。森さんは、「江戸が大騒ぎになったことで、人々の不安を早くしずめるために役人は火山の石だと言ったのではないか。」と推測しています。嘘も方便、というところでしょうか。