月曜朝礼 校長片岡先生の話⑪
【小学校のみなさんへ】
みやばやしはもうすっかり夏の装いになりました。それもそのはず、5月の下旬と言えば、いつもの年ならもう桐朋祭が目の前に迫っている時期です。小学校のエリアを歩くと、あちこちに小さな白い花が咲いていることに気がつきます。特に、桐の庭の畑から池の周囲にかけてはにぎやかです。これはヒメジョオンの花ですね。
ヒメジョオンの花が咲くと、ちょうど一年前の月曜朝礼でお話ししたことを思い出します。このお話は、昨年5月28日朝、川崎市登戸駅で発生した痛ましい事件を受けたものでした。かつて日本の子どもたちは、外遊びのなかから多くのものを学んできました。おそろしい出来事が起きるたびに、外遊びどころか、学校に登校することすら足がすくむように感じられますが、子どもたちの生活を大切に見守っている数多くの大人の眼差しが、この国にはあったのです。
新型コロナ感染症の勢いにかげりが見えてきました。今、東京では学校再開へのカウントダウンが進んでいます。学校再開となれば、朝夕の電車にも、3カ月ぶりに児童・生徒が戻って来ます。その時、子どもたちに向けられるのは、果たしてどのような眼差しでしょうか。「誰かに見守られた体験があるからこそ、誰かを見守る気持ちが身についていくのです。」
正門広場の、小さな円い丘のところに、可愛らしいピンク色の花が咲いていました。調べてみると、ユウゲショウ(夕化粧)という趣のある名前を持っていました。子どもたちには、道端にあるそんな小さな生命の一つひとつに感動できる、ゆたかな日々を過ごしてほしいと思っています。学校再開まで、もう少しの辛抱です。
片岡 哲郎
ユウゲショウの花
プレイバック月曜朝礼⑪
「道端の小さな生命を」(2019年6月3日)
みなさん、おはようございます。6月に入ってから、街のあちこちでアジサイの花が日に日に紫色に色づき始めましたね。みなさん気がついていますか? それから、ビワの木の枝先で、ビワの実が色づいている様子もよく見かけますね。6年生が夏に訪れる岩井海岸のある千葉県南房総市は、実はビワの名産地として知られており、今の時期はビワ狩りの観光客で、かなりの賑わいを見せるそうです。
でも、子どもの目の高さは大人よりも低いので、みなさんはもっと地面に近いところの、ありふれた草花の一つひとつが目に入っているのではないでしょうか。例えば昨日の朝日新聞のコラム『天声人語』は、ヒメジョオンという花を紹介していました。日本の都市という都市が、アメリカ軍の空襲で焼け落ちた1945年6月、これは太平洋戦争が終わる2か月前ですが、日本政府は「夏の七草」というものを発表したそうです。家も焼かれ、食べ物もない市民が空腹をしのぐために口にしたのでしょう、アカザ、ツユクサ、シロツメクサとともに紹介されていたのがこのヒメジョオンでした。
ヒメジョオンは、空き地や道端で普通に見かける、マーガレットを小さくしたような白い花です。食べて美味しかったかどうかはともかく、繁殖力はとても強い花です。何しろ一株の花が47,000もの種子を作り、その種子一粒の寿命が35年と長いのです。雑草として扱われることの多い植物ですが、もともとは観賞用に北アメリカから持ち込まれました。気がついたら、可愛らしい花を見つめて下さい。
ヒメジョオンと同じように、道端でよく見られる小さな黄色いタンポポのような花があります。葉っぱもタンポポとよく似たギザギザです。こちらは、オニタビラコというキク科の雑草。どこにでもあるありふれた雑草ですが、その花の鮮やかな黄色は印象的です。先生の家の前にある公園には、ナガミヒナゲシという小さなケシの花があちこちに咲いています。地中海原産のこの花は、近年日本全国で爆発的に繁殖しています。都市部で多く繁殖しているのは、おそらく種子が車のタイヤに付着して運ばれるからだと考えられています。繁殖力の強さが心配されていますが、薄いオレンジ色の花びらはとてもはかなげで愛おしく感じられます。
5月31日の毎日新聞のコラム『余録』は、明治時代の初めに来日したドイツ人の学者の、こんな言葉を紹介していました。「日本の子どもは一日の大部分を街なかで過ごす。子どもは交通のことなど少しもかまわず遊びに没頭する。」当時の日本では、人力車や馬が遊びを邪魔せぬよう回り道をすることを子どもたちは知っていたのでしょう。「彼らは、大人からだいじにされるのに慣れている。」今の時代からはちょっと考えられない感想です。千葉大学の研究室が3,000人の小学生を調査したところ、その7割以上が「平日に外で遊ぶ日」を0日と答えたそうです。でも、本当は道沿いの小さな緑地にも、誰かの家の壁の上にも、今の季節ならではの小さな命の数々がその輝きを放っています。かつての日本の小学生は、外遊びを通して、実に多くのことを学んできたのです。
毎日新聞がなぜこの日、150年も前のドイツ人学者の感想を紹介したか、みなさんわかりますね。それはこの3日前に川崎市登戸駅付近で発生した、恐ろしく痛ましい事件を受けてのことでした。あまりに衝撃的な出来事ゆえに、外遊びどころか、学校に登校することすら恐ろしく感じられるのも今は当然です。でも、本当は明治の時代から今日に至るまで、子どもたちの生活を大切に見守っている数多くの大人が、この国にはいるのです。だからこそ、子どもたちは家の外に出て地域のなかで生活し、道端の名もない小さな生命を発見する力も、それを慈しむ心も身につけていったのです。
誰かに見守られた体験があるからこそ、誰かを見守る気持ちが身についていくのです。どうかそのことを忘れないで下さい。